状況を築くこと

美味しそうにお茶を飲んでいる人がいる。
そこには心地良さそうな、テーブルと白い椅子があって。木のすこし古ぼけた床がある。
よくみると、大きな家からちょうどよい距離をもって配置されているようである。
見渡すと庭の木の向こうにはもうすぐ完成をむかえるスカイツリーがみえる。
例えば建築がそういった時間も含めた空間をつくることを目標とするならば、テーブルや床を作ることと同時にお茶を出すこともなくてはならないコトなののかもしれない。

ここで、状況をつくることを極論化するとすごく美味しいお茶だけをだせばいいということになりそうだけど、やっぱり人には、ゆっくりと座れる椅子や、安心のできる床は必要だ。ただ、せっかく砂浜にきているのに、わざわざ床なんかつくらなくていいかもしれないし。気持ちのいい原っぱだったら、一枚のシートをしけばいいかもしれない。

ものだけでなくコトをつくる可能性を自分のなかにもつことによって、いままでの建築のつくりかたがすこし広くなるのではないだろうか。こんかいは実践をとおして、そのモノとコトのバランスをどうすべきか、ということ問うてきたこと、その結果は多様ではあるけれども逆につうていしていた状況をつくるプロセスを考察してきた。

 

建築とは必然的にある種の状況をよみとり空間化し、表現していかなければなりません。
けれどそれと同時に、その状況の全体性はうしなわれ、「形式化」「単純化」「構造化」「歴史化」「権力化」「建築化」してしまいます。

至極当然ですが、そんな熱狂的で創造的な空間化の責任を引き受けつつもつねに、現在の人々がつくりだす生活の全体性、複雑さというものをどうにか、わしづかみにして、建築をつくりたい。

ものだけでなくコトをつくる可能性を自分のなかにもつことによって、いままでの建築のつくりかたがすこし広くなるのではないだろうか。こんかいは実践をとおして、そのモノとコトのバランスをどうすべきか、ということ問うてきたこと、その結果は多様ではあるけれども逆に通底していた状況をつくるプロセスを考察してきた。

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