夏の建築月間ラストシンポジウムであろうか、初めのシンポジウムだとも思うが。
生成の世代
に行ってきた。
清澄庭園にと 予想外に素敵な庭と鈴虫の声
模型をテーマに進行。
テーマ自体は面白いのだけど。
最後松島さんがいった
完成系としての模型と
スタディーとしての模型。
あるいは藤本さんの
始めにアイデアの実態としての模型と アイデアの本質を探る段階での模型。
という種類があるなかで。 今回は アイデア出しの段階での話となった気がする。 ただこれを本質を探る場に進化させるのは実際難しいと思うので。
その後は、飲み会にて探るか、それを見た観客が新たな世代として生成されるしかないな。てな言葉あそびでまとめてみる。
議論としてはあまりなかったが、個々の話は各人を表していて面白かった。
ただ議論全体の浮遊感にも関係すると思うのだが
建築がアートとして扱われる。 さらにはアートに建築が寄っていく、というのは新たな可能性とか断面とか皆さんポジティブに言っていたが。
アートが主体的に藤幡さん的には病人的に社会に対して在るのに対して。
建築はクライアントを持ったある種受動的、もしくは医者的にあるのではないかという関係性が。
移って行って良いのかという気持ちもかなり大きい。
アートの側はむしろ社会における病、特異点にこそあるものだからいいのだけど…
そこに建築は挑むべきなのかな
まぁ、そういう状況に対して主体的に問うていくのはいいのかな。
街の生成においてなど特異点、臨海としての建築とかいろんな視点はわかりつつ。
態度を判断しかねる。
そして判断しかねる思考の場としては面白い。
ただ この前アートを作ってこいとフランスに送りこまれた感想としては。
僕は主体的に僕自身の欲望から 建築等の社会に対して強い形をもつ物をつくる勇気はかなりないな。ということです。
未来のために とかならまぁギリギリ創れかもしれないが。
ああ、話が飛ぶが単純に制作の方法論、経営論を語る場としては、この前やった[制作の言語の制作]のほうが盛り上がっていたのは、アートの場合手法がそのままスタイルと直結するからなのか、
三人での身近な会話のようなアトリエトークと。5組で東京を舞台にした大きな話題すぎる身体的なことなのか。
モデレーターが仕切りきる今回と。ゲストが仕切りを乗っ取ろといういう勢いだった前回の違いか
興味深い。笑
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